公教育を支える教材出版社代表のブログ

初めての被災地、何が待ち受けているのか身構えていた私を待っていたのは、のどかな草原のような風景。。。いや、それは全てを飲み込んだ津波の後に雑草が生えて広がる荒野だったのです。場所によっては既に多くの瓦礫は片付けられ、広く平らな土地が広がっています。そこに皮肉にも荒地を隠すように力強く草が生い茂っていました。 被災地は既に次のステップに入っているなと直感します。
お邪魔したのは南気仙沼小学校さん。中井充夫校長先生自ら満面の笑みで出迎えてくれました。包容力のあるその笑顔に全てを包み込まれるような素敵な校長先生です。
実は震災の一週間前、通信表のデジタル化のため弊社担当者が南気仙沼小学校の通信表をサンプルとして1通だけお預かりしていたのです。そして3月11日。全ての通信表は流されてしまいました。印刷会社さんも被災してしまい、データもありません。もちろん専用の紙もなければ費用もない。唯一被災しなかったのが弊社が預かった1通の通信表だったのです。
そこから弊社の「通信表デジタル化支援プロジェクト」が動き始めます。
校章や題字はスキャンして復元、デザインも元のままにミリ単位まで復元させます。そしてデータとして復元した通信表に児童名や数値データを反映させていきます。毎週のように現地に入り、打合せからデータ作りに精を出します。学校オリジナルの評価規準や基準があり通信表のデザインなどの詳細は驚くほど各校違うものなのです。その全ての要望に応えるべく修正に修正を重ね、そしてようやく出来上がったのです。見た目は前のまん
まアナログで完全オリジナルなデジタル通信表の出来上がりです。
7月26日は南気仙沼小学校の1学期の終業式。その後教室に戻って、そこで私たちが支援した通信表が子どもたち一人ひとりに手渡されていきます。
まさに感無量の瞬間です。
そして何と、、、先生が子どもたちに通信表の説明をしている際、弊社社員が呼ばれたのです。そして子どもたちの前で紹介してくれたのです。突然の出来事に社員はもちろん涙しました。。。そしてその姿を子どもたちに見せ、お金のためだけに仕事をするもんではない、人のために仕事をする「こういう大人になれ!」と言ってくださいました。
被災学校を助けるための活動はいつの間にかチームのような一体感が生まれ、同士のような感じになり、さらにはその担当者を大きく成長させてくれました。なんてありがたいことでしょうか。。。南気仙沼小学校のみなさんに感謝です。
そして先生方に言われました。
「物の支援、お金の支援はとてもありがたかった。足りないものはまだまだあり今でも感謝している。ただ、今回の教育同人社さんの支援は本当に助かった。本当にありがたかった。我々には時間がなかった。今までなら普通に出来ていた事ができない。いろいろなことがあり過ぎてやる事は山ほどある。家に帰れば自分も被災者。家族のための時間も必要だった。だから業務を効率的に簡単にしてくれることが一番ありがたかったのです。」と。。。
『時間』という支援の形があったのですね。
求められているものも少しづつ変化してきています。支援活動も次のステップに入っているように感じますね。
通信表のデジタル化がここまで業務効率を完全するものなのか、私も実感がありませんでした。むしろそのことで煩雑になることもあるのかもしれないとも思っていました。やはり手書きの味、気持ちのこもった通信表は嬉しいものです。大変だけどわざわざ難しいことをしなくっても。。。セキュリティのことが。。。反対をあげれば枚挙に暇がないですね。
成功できたのは校長先生始め教頭先生、教務主任先生の強いリーダーシップ。そしてその判断に一丸となった先生方のチームワークがあったからです。もちろん震災という災難により究極の状況が生まれ、しがらみなくゼロから立ち上げることができたこともあったかもしれません。
しかし窮地にいる彼らがここまで喜んでくれる。支援する私たちがしっかりと向き合って、その学校にあった形にシステムの方をカスタマイズすることが出来れば、デジタル化は必ず「時間」の支援につながるのだと確信しました。
私たちの活動は点です。でもこの感動は誰にも味わうことが出来ない最高の活動でした。もう誰も真似が出来ない事実です。私たちは小さな会社ですが、可能性がある限り、私たちの出来る支援を精一杯広げて行きたいと願っています。

明日、初めて被災地へ入ります。
3月11日から、自分に何ができるのかを考え、しかしその甚大すぎる被害に茫然自失となり、自分の小ささを思い知り、ただただ被災地のみなさんからの声に純粋に反応することだけを心がけてまいりました。
そのまま新学期に入り、自社の多忙期に飲み込まれ、業界のみなさんの動きに呼応して対応することで自分を納得させていました。
5月連休明け、「震災を考える熟議」を加須(福島の被災者を受け入れた地)で開催して、先生方の苦労話、行動する方々の話、考えてはいるものの行動にはなかなか動けない多くのみなさんの話を聞き、あらためて震災後の日本の教育の在り方を考えました。
6月には弊社の夏休み帳に「節電」を呼び掛けるキャンペーンを実施して、全国の子どもたちが少しでも被災地を支援できるしくみを提案してきました。
そしてようやく今、被災地に入る機会をいただきました。
場所は宮城県気仙沼市、小学校の一学期の修了式を参観させてもらいます。
ここで子どもたちに渡される修了証書(あゆみ)は津波で流されてしまったものを私たちがデジタル化して完全に復元したものです。膨大な時間とコストがかかりましたが、このことで先生方が喜んでいただいていると聞き喜んでおります。そして子どもたちの笑顔が見れれば嬉しいな。。。
がれきを運ぶことをするために被災地入りするわけではありませんが、私たちに出来る被災地支援をしていると胸を張って被災地入りしたいと思っております。
被災地および学校の様子は追ってご報告させていただきます。

みなさんが小学生の頃、夏休みに夏休み帳をやりましたか?
この時期、全国の小中学校では夏休み帳の採用検討が行われています。(弊社の夏休み教材はこれ)
(一般には市販されていない学校採用品です。あしからずご承知おきください。)
前にもこのブログで取り上げましたが、今年はこの教材をご採用の学校に『がんばろう日本!応援プロジェクト』として節電ポスターの応募を呼びかけています。
子どもたちが節電のアイデアを考えることで家庭での節電意識が高まればいいなと思うのです。
家庭でのゴミの分別も実は学校教育から始まったと言われています。学校の総合的学習の時間ができ、その中で環境をテーマに勉強をする学校が増えました。分別の仕方を学んだり、牛乳パックを集めたり、、、学校での勉強は瞬く間に家庭に波及して、親たちを取り込み、地域を取り込み、自治体を動かしました。
教育の力は大きいですね。

早いもので東日本大震災からもう3ヶ月が経とうとしています。
関東大震災も戦後の混乱期も知らない私たち世代(40代)にとって今回の震災は衝撃でした。そして今でもこの震災に対する影響は計り知れないものとなっており、当分の間、世界的にも影響を及ぼす大災害となっています。
そんな歴史的な大震災は私たちに何を教えようとしているのでしょうか?
いみじくも環境にいいと謳われていた原子力発電がその信頼をなくしてしまった契機でもあります。どのようなエネルギー政策が人間にとっていいのかを議論する立場にはありませんが、私たち世代が生まれてこの方エネルギーに困ることなく、消費を拡大し続けてきた(*1) ことだけは間違いないようです。また、化石燃料の浪費やそれに伴う温暖化は地球環境に負担をかけていることも間違いないようです。
さて、今私たちにできることは何でしょうか?

すごい熱気だった。連休中、開催地の加須では恒例の巨大鯉のぼりが揚げられ大いに盛り上がっている最中、東京から1時間以上かかるこの地で素晴らしい「リアル熟議」が行われた。

初めは不安だった。遠方か?日程が厳しいか?そして「震災後の学校」というキーワードにどのような反応があるか?福島県双葉町の集団避難児童を抱える加須市での開催は批判も覚悟した。
ところが不安は来場者の熱気でかき消される。集まった有志はなんと80名。我々の予想をはるかに凌ぐ盛況ぶりに開催の意義を感じた。メンバーも多彩だった。小学校3年生からご老人まで。障害を持つ方やボランティアの方も参加した。もちろん先生や大学生も。
みんな一様に、「何かしなければ、でも何か?」という思いを持っていたように感じた。みんな自分の行動に限界と自信のなさを感じていたのかもしれない。実際にボランティアをするなどの直接的行動を取れる人は限られる。そうしていない自分に胸を張れないと感じていた人も多かったのかもしれない。だから思いがある人と語りたかった。。。私たちに出来ることを語り、私たちに出来ることを聞きたかった。。。
冒頭から、
騎西小学校松井校長先生のお話。。。被災児童を受け入れる現場の生の声、これが真実。
金大竜先生のお話。。。大阪から福島へ何度も足を運ばれた理由。子どもたちに伝えること。
寺脇研カタリバ大学学長や藤川大祐千葉大学教授からも熱のこもったお話。上からの指示待ちではなく一人ひとりが考え動くことが大事と。
熟議の結果、被災地に向けた行動だけが支援でないことにも気づかされた。
教科に縛られず震災を題材に教育をしていくこと。子どもたちに伝えていくこと。
自分のいる地域でコミュニティを大切にすること。
普段から災害に備えておくこと。普段からエネルギーを大事に考えること。
などなど。
そしてもちろん、今している自分たちの活動を誇りに思った。間違いはないことを確信した。
でももっとも大切だったのは、内容よりも、震災後の学校教育のあり方を語るために集まったこと、この行動こそ既に復興活動であると参加者は感じてくれたに違いない。その行動に価値がある。
全国各地で熟議のような方法で震災後の新しい社会のあり方を語ってもらいたい。自らが考え、新しい社会を創る担い手になるように行動してもらいたい。
豊かさとは何か。今回の震災を教訓に、私たちは新しい社会構造の変革に挑まなくてはならないのかもしれない。自然はそれを私たちに教えてくれようとしていると感じる。

被災地区への学校教材の支援活動の報告の第二弾です。
みなさまより4月4日(月)に放映されましたNHKクローズアップ現代「どう支える 被災地の子どもたち」で弊社の支援の取組みが放映されたのですが、その映像を見たいというご要望が多くありました。(NHKサイトはこちら)
この件は、私が宮城県の中浜小学校の先生とツイッターで交流があり、たまたま支援のご要望をお伺いしたのがきっかけでした。当時はまだ物流網も不安定な頃、弊社の特約販売店さんにもご協力をいただき迅速に教材の提供をすることが出来ました。
あらためて弊社の全国販売網を誇りに感じた瞬間でもありました。
手にした教材(学年末にやる学年のまとめ教材)に感動をしてくれている先生方や子どもたちの歓声を見ると、「この仕事をしていてよかった!」と心から感じます。
これからも教育同人社は先生や子どもたちに感動を届けられる会社でありたいと思っています。

弊社社員が4月5日(火)~9日(土)と4月13日(水)~15日(金)の2週に渡り、岩手県と宮城県の被災地の小学校・中学校教材支援活動に行って来ました。その時の様子です。ありのままのレポートです。

4月6日、最初に訪問した釜石市立甲子小学校です。海岸より5Kmほど内陸側の小学校で津波の被害はありませんが、海岸で被災した鵜住居小学校の先生が移って来られていました。被災4週目に入りかなり落ち着いてきたそうですが、校庭は避難して来られた方の車でいっぱいでした。
校長先生にお会いし、学童保育用のつなぎ教材をお届けしました。

甲子小学校の校庭の様子です。避難して来られた方の車と校庭を2分される形で、災害支援の自衛隊のベースになっていました。

4月6日、校舎が津波の被害から免れた平田小学校を訪問した後、45号線より海側に300メートル程入った平田地区市街地です。以前来た時は、住宅や水産加工場が有ったと記憶しています。今は、釜石観音の全景が見える程、津波にさらわれてしまっています。

同じ平田の市街地の逆を向いた側の様子です。取り敢えず車が通れるよう住宅側に破壊された家の木材や、被災した車を寄せていました。2階まで津波が上がったそうです。
埃と臭いを強く感じました。パンクも心配でした。

4月7日、大槌町。釜石から45号線の古廟坂トンネルを抜けた地点から見た大槌小学校と避難所となっている城山公園体育館です。
大槌小学校は、津波の第2波で火災が発生して海側から校舎が焼けています。町全体が焼けて無くなっていました。
城山公園体育館は、大槌町役場が役場機能を移して被災の対応を行っています。
忙しいところでしたが、教育長にお会いしました。

昨日、福島県双葉町の被災者を中心に受け入れている埼玉スーパーアリーナに行ってきました。
避難所の生活、避難所での子どもたちの様子、そして移転してきている町の機能を確認してきました。

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